今日は、前から取り上げようと思っていた「龍と虎」について書きます。
龍と虎は双子の関係であり、その性質は相反しています。そして、どちらも恐ろしく強いです。
龍と虎の比較
龍 | 虎 |
天 | 地 |
陽 | 陰 |
雷 | 風 |
川・海 | 山・野 |
上杉謙信 | 武田信玄 |
越後の龍 | 甲斐の虎 |
[天と地] - 龍は天に舞い昇る。虎は地を駆け巡る。
[陽と陰] - 龍は美しく陽的。虎は厳つくて陰的。
[雷と風] - 龍は空に昇り雷を呼ぶ。虎は野を駆け風を呼ぶ。
[川海と山野] - 龍は水辺に住んでいる? 虎は山と野に生息している?
人食い虎の話
古代中国の話では、人食い虎にまつわる話が頻繁にでてきます。
人食い虎が、ある種の人間を暗喩しているのか、それとも、文字通りの虎なのかはわかりません。しかし、人食い虎が跋扈する時代になると、龍が現れるようです。
私が疑問に思うのは、地中(水中)から目覚めた龍は、果たして虎を退治するのか、ということです。
恐らくは、虎を退治することなく、雲を起こし雷を鳴らし、雲の上に昇っていくのでしょう。
結局、人食い虎を退治するのは人間であると。。
上杉謙信と武田信玄の部分は省略しました。
次回以降、機会があれば取り上げたいです。
龍はウナギみたいですね。
どこから来るかも、どこへ行くのかも分からない。
約二か月ぶりにブログを更新します。お久しぶりです。
今日、柳田國男の「日本の昔話(新潮文庫)」をパラパラと眺めていたら、「分別八十八」という話を見つけました。
読んでみると、奇妙で面白く、私好みのものでした。
今日はその「分別八十八」を紹介(転載)します。
分別八十八
むかしむかし奥州のある村に、八十八という名前の男が六人住んでいました。
綽名がなくては誰が誰だかよく分かりません。
そこで一人は気が荒いから外道八十八、一人は博奕が好きで博奕八十八、一人は田を作っているから百姓八十八、一人は米の商いをする故に米屋八十八、又一人は盗みをするので、盗人八十八、今一人の八十八は智慧があるところから、人が分別八十八という名を付けて間違わぬようにしていました。
ところが或日外道八十八は、博奕八十八と喧嘩をして、うんと打ったら博奕八十八が死んでしまいました。
殺す気はなかったのでびっくりして、困って分別八十八の所へ相談に来ました。
それではその死骸を百姓八十八の田の水口に持って行って、そっと田の畔にしゃがませて置いて見よと教えてくれました。
その晩百姓八十八は田の水を見廻りに出て見ると、自分の田の水口に誰だか知らぬがしゃがんでいます。
憎いやつだ、又水を盗みに来たなと言って後から棒で一つ打つところりと倒れ、それをよくみると博奕八十八でありました。
飛んだことをした、どうすればよかろうかと、これも外道八十八と同じように分別八十八の家へお土産を持って相談に来ました。
それではその死体を空俵につめて、米屋八十八の倉の前の、米俵の一ばん上に置いて来て見よと教えてくれました。
そうするとその次の晩に、盗人八十八は米屋八十八の倉の前から、米かと思ってその俵を盗んで来ました。
家に戻って俵を開けて見ると、それは博奕八十八の屍骸であったので、肝を潰してしまいました。
どうしたらよかろうかと思案に暮れて、やっぱり分別八十八の所へお礼を持って智慧を借りに来ました。
そんなら今夜遅くなってから博奕八十八の家の表戸を叩いて、今戻ったぞと言って見よ。きっと女房が怒っているから、やかましいことを言って戸を開けぬに相違ない。そうしたら死んだ博奕八十八を、門口の井戸の中へ投げ込んで来るがよいと教えてやりました。
それで盗人八十八は教えて貰った通りに、夜更けの博奕の家の戸をことことと叩いて、嚊よ今帰って来た。開けてくれと作り声で言いました。
そうすると家の中では、果して嚊が大声を出して、今帰ったもないもんだ、お前みたいな人は死んだ方がいいとわめきました。
その時に屍骸を井戸の中へ、どぶんとほうり込んでさっさと帰りますと、後で女房はその音に大騒ぎをして、村中の人を頼んで博奕八十八を引き揚げてもらって、それを見ておいおいと泣いたそうです。
分別八十八だけは皆からお礼を貰って、一人でうまい事をしました。
(おわり)
この話、何故か好きです。
視点と立場がドミノ倒しみたいに変わっていき、ついに一巡する。
最近の私のお気に入りの話です。
八十八について
八十八という数字は、四国八十八箇所、八十八夜、米寿(八八歳)など、たびたび目にする数字です。
「分別八十八」では、村に六人の八十八さんが居ました。この話の八十八という名には、「し過ぎる」という意味合いが含まれているかもしれません。私はそういう解釈でこの話を読みました。
六人の八十八の関係性
対となる八十八
百姓 ↔ 博奕
米屋 ↔ 盗人
分別 ↔ 外道
類似の八十八
百姓 ≈ 外道
米屋 ≈ 博奕
分別 ≈ 盗人
話中の八十八らの役割
主役: 外道、分別
助役: 百姓、盗人、博奕の女房
ゴースト: 博奕、米屋
語り部: いろいろな人(私を含む)
アニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」について、少し感想を書かせてもらいます。
このアニメには強く心を動かされることが多く、10話までで一旦観るのを止めていました。そして、つい先日にようやく最終の13話まで観終わりました。
このアニメを観始めたときの感覚は、「自閉症だったわたしへ(ドナ・ウィリアムズの自伝)」を読んだ時の感覚に非常に似たものでした。
「こんな人に会ったことがあるような、私がそんな人間であるような。」
この本を読んだのは二十歳くらいのときでした。懐かしく思います。
ヴァイオレットが「自動手記人形」という職業を通して見せてくれるもの、引き起こしてくれる感情は、私にとって懐かしいものでした。
ヴァイオレットは「愛してる」を知る(伝える)ために、自動手記人形という社会的な役割を担っている。
一方、私は「??」を??ために、??という社会的な役割を担っている。
今日は「ミハエル・デルトーゾス生誕82周年(Doodle)」を翻訳してきます。
ミハエル・デルトーゾス氏は、インターネットやコンピュータなどの分野で、世界的な業績を残した方です。
久しぶりに現代科学に触れていきたいと思います。

ミハエル・デルトーゾス
Michael Dertouzos
1936-2001(享年64歳)
アテネ/ギリシャ
コンピュータ科学者
※ 写真は 1)より
ミハエル・デルトーゾス氏は、インターネットが私たちの日常生活にどのような影響を与えるのかを予測したコンピュータ科学者でした。
彼は、パソコン (PC: Personal Computers) の普及を予測し、マサチューセッツ工科大学 (MIT: Massachusetts Institute of Technology)コンピュータサイエンス研究所の長として、パソコンの潜在的な能力を引き出しました。
A computer scientist who foresaw how the internet would impact the lives of everyday people, Dertouzos predicted the popularity of personal computers and helped to maximize their potential as director of the Massachusetts Institute of Technology’s Laboratory for Computer Science.
デルトーゾス氏は1936年にギリシャのアテネで生まれました。コンサート・ピアニストの母とギリシャ海軍提督の父の息子でした。
彼は、アテネ大学を卒業した後、フルブライト奨学金でアーカンソー大学に通い、MITで博士号を取り、1968年(32歳時)に教員に就きました。
Born in Athens, Greece on this day in 1936, Dertouzos was the son of a concert pianist and an admiral in the Greek navy. Upon graduation from Athens College, he attended the University of Arkansas on a Fulbright Scholarship and earned a Ph.D. from MIT, joining the faculty in 1968.
デルトーゾス氏の指導の下、MITのコンピュータサイエンス研究室は、分散システム、時分割コンピュータ、ArpaNet、安全なデータ伝送を保証するためのアルゴリズムであるRSA暗号化など、革新的な技術の開発が盛んな研究センターに成長しました。
彼は、MITサイエンス研究所 (LCS: Laboratory for Computer Science) をワールド・ワイド・ウェブ・コンソーシアム (W3C: World Wide Web Consortium) の北米ホームにすること、ウェブの進化と相互接続性を促進する企業提携を作ることに取り組みました。
そして、それを実行するために、ワールド・ワイド・ウェブ (World Wide Web: WWW) の発明者であるティモシー・ジョン・バーナーズ=リー氏 (Timothy John Berners-Lee) を招きました。
Under Dertouzos’ guidance, the MIT Laboratory for Computer Science grew into a thriving research center employing hundreds of people collaborating on innovations like distributed systems, time-sharing computers, the ArpaNet, and RSA encryption, an algorithm used to ensure secure data transmission. Dertouzos worked to make LCS the North American home of the World Wide Web Consortium (W3C), an alliance of companies promoting the Web's evolution and interconnectivity. Dertouzos recruited Sir Timothy John Berners-Lee, the inventor of the World Wide Web, to run it.
1980年代、デルトーゾス氏は自身の著書『What Will Be:情報の新しい世界が私たちの生き方をどう変えるか』の中で「情報市場 (The Information Marketplace) 」という概念について書き記しています。
「誇大宣伝を消し去れば、情報市場(人々がコンピュータを使って情報を売買したり、自由に交換したり、或いは情報が本来の働きをする市場)のシンプルでくっきりとした必然的な絵が現れる。」
As early as 1980, Dertouzos was writing about “The Information Marketplace” a concept that he expanded on in his book 1997 book What Will Be: How the New World of Information Will Change Our Lives. “If we strip the hype away,” he observed, “a simple, crisp and inevitable picture emerges -- of an Information Marketplace where people and their computers will buy, sell and freely exchange information and information work.”
「私たちの生活の中に技術を、そしてその逆はない」ということがもたらす意味の重要性を主張し、デルトーゾス氏は、MITの人工知能研究所 (MIT's Artificial Intelligence Lab) と提携し、1999年のOxygenプロジェクトを率いるために、LCSを励ましました。
この大規模なプロジェクトの目標は、コンピュータを「私たちが呼吸する空気と同じくらい、自然な環境の一部にする」というものでした。
Insisting on the importance of bringing “technology into our lives, and not vice versa,” Dertouzos spurred LCS to head up the 1999 Oxygen project in partnership with MIT's Artificial Intelligence Lab. The goal of this massive project was to make computers "as natural a part of our environment as the air we breathe."
デルトーゾス氏の最後の著書『未完の革命:人を中心としたコンピュータと彼らが我らにできること』のタイトルに反映されているように、デルトーゾス氏の技術に対する信念は、人類の潜在的可能性を十分に発揮したいという彼の願望に常に基づいていました。
誕生日おめでとうございます。ミハエル・デルトーゾスさん。
As reflected in the title of his final book, The Unfinished Revolution: Human-Centered Computers and What They Can Do For Us, Dertouzos’ belief in technology was always grounded in his desire to unleash the full potential of humanity.
Happy Birthday Michael Dertouzos!
出典
1) "Entrevistas com Michael Dertouzos".
https://www.dimap.ufrn.br/~jair/piu/artigos/Dertouzos.html
(2018.11.19)
2) Wikipedia Commons, ile:IBM_PC_5150.jpg.
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:IBM_PC_5150.jpg
(2018.11.19)
3) Wikipedia Commons, File:Athens4_tango7174.jpg.
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Athens4_tango7174.jpg
(2018.11.20)
4) Wikipedia Commons, File:Berners-Lee announcing W3F.jpg.
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Berners-Lee_announcing_W3F.jpg
(2018.11.20)
5) Wikipedia Commons, File:Oxygen-front.svg.
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Oxygen-front.svg
(2018.11.20)
久しぶりに科学を扱いました。
『情報市場』というコンセプトはいいですね。
今の私の「情報環境」も、かなりシンプルな説明が可能になりそうです。
今日は、八木アンテナで世界的に有名な八木秀次氏のDoodleを翻訳/紹介します。

八木 秀次
Yagi Hidetsugu
1886-1976(享年89歳)
大阪/日本
電気技師、実業家、政治家
今日 (2016.1.28)、私たちDoodleチームは、八木秀次氏の生誕130周年を祝福します。
そして、テレビとラジオの信号が今日も感度良好(loud and clear)に保たれていることを八木氏に感謝します。
八木アンテナのおかげで、ラジオやテレビは特定の方向から強い信号を受信することができ、周囲の信号からの干渉を避けることができるのです。
Today we celebrate Hidetsugu Yagi's 130th birthday, and thank him for keeping our television and radio signal coming in loud and clear.
Because of the Yagi antenna, radios and televisions can receive stronger signals from a specific direction, which helps avoid interference from surrounding signals.
八木アンテナ
八木秀次氏は日本の電気技師(electrical engineer)でした。
八木氏と彼の同僚だった宇田新太郎氏は、このアンテナの技術を開発し、普及させました。
そのため、このアンテナには、八木・宇田アンテナ(Yagi-Uda antenna)という名前が付けられています。
Hidetsugu Yagi was a Japanese electrical engineer. He and his colleague Shintaro Uda developed and spread the technology for this antenna together, which is why the full name is the Yagi-Uda antenna.
彼らの発明は1926年に特許取得され、今日世界中の何百万もの家庭でラジオやテレビの受信に使用されています。
外を見れば、近所に八木アンテナを1つ、2つと見つけることができるでしょう。恐らくは、あなたの家の屋根の上にも!
私の部屋の窓からも、八木アンテナを多く見かけます。
「お馴染みの風景」という感じです。